Classic Clown Cloudy Club -盾の装飾は偏屈-

ヒカゲモノの僕は、時に熱力学を、時に落語の解釈を、時に他人の悩みを語ります

時代が終わる 次代が始まる

次の年号が公開されて一週間以上が経ちましたね。

令和が5月から始まることへのクレームを述べる主婦や、新年号”令和”に対するイメージを語る学生などがニュースやSNSで見かけることが多くなった今日この頃。改めて、僕なりに”異例の年号改元”を分析・考察したいと思います。

 

昭和が終わった時

やはり未来を語るには、過去を分析しないといけません。

最も新しい改元は昭和から平成になった時です。昭和天皇崩御した翌日には今上天皇が即位され、元号も平成に変わりました。しかし、世の中は改元に盛り上がることはなく、寧ろ、自粛ムードが続きました。

テレビからはCMが消えたばかりか、バラエティ番組すら姿を消しました。

町では宴会やイベントが姿を消しました。

お祭りすら中止になりました。

ポスターや店頭の「賀正」も身を隠しました。

新時代の幕開けを祝うなぞ言語道断でしょう。当然です。一つの時代が終わったばかりか、天皇陛下崩御されたのですから・・・・。

 

始まった平成はどんな時代?

平成は日本国としては平和ではありましたが、平穏ではありませんでした。戦争が無いことをいいことに、台風や地震たちは大暴れをし、日本各地に大きな傷跡を残しました。その傷跡は人々の心にも、今もなお大きな影響を及ぼしています。

日本では”被災者”という単語をよく見かけますが、今や、どの災害の被災者を指しているのかわからないこともしばしば。程度はどうであれ、災害を経験していない国民はいないでしょう。

天皇陛下の”お言葉”にも、その傷跡が伺えます。

しかし、平和でした。テクノロジーだけでなく、テロや犯罪やいじめも、大きく成長を見せましたが・・・・平和の世であったから起こった現象だと言えるでしょう。

戦争という理不尽の権化がないだけで、平和と断言するに値します。もちろん、その平和は北風や黒潮がもたらしたものではなく、寧ろ、賢明な人々の懸命な努力によって維持されていたのです。その点だけは、誤解してはなりません。

 

時代が終わる

平成の終わりを告げたのは、崩御というニュースではなく、天皇陛下でした。

今上天皇が退位の意志を述べられたあの日、平成は終わりに向かっていました。

ですが、それは悪いことではありません。むしろ、天皇陛下が象徴であり続けるために必要な最後のお仕事だったのかもしれません。

今上天皇は多くの”前例のないこと”を築かれてきました。小さなものでは、被災者の方々と同じ目線で話されることでしょうか。本当に些細ではありますが、昔の人からすれば天皇陛下が体育館の床にひざをつくことなぞ考えもしなかったでしょう。まさに、”象徴である”ことを努力されていた今上天皇だからこその行動でしょう。

そして、平成31年。新年号が発表され、改元が行われます。

 

 

次代”令和”が始まる

平成が始まった頃、もっと言うと、昭和が終わる頃、日本はどうだったでしょうか?

毎日昭和天皇の体調が報じられ、曇天のような日々が繰り広げられていました。年号が変わっても自粛ムードが霧のように立ち込め、人々は暗い雰囲気を味わうことしかできませんでした。

けれども、今、日本はどうでしょう。新年号を予想し、”平成最後の○○”というハッシュタグが乱立し、さよなら平成セールが行われ、令和便乗企画が多く予定されています。年号が変わるというのに、前時代とは天と地ほどの差ではありませんか。

天皇陛下は様々な意見の中で、大きなご決断をされ、結果、平和な終わりを成したのです。

 

Hello令和

昭和で戦争を捨て、平成で武器を取っていた手を平和を掲げました。その平成が終わるということは、決してネガティブな意味ではありあせん。ましてや、掲げた平和の手をおろしたわけでもありません。

今上天皇は腕が疲れてしまったので、次の秋篠宮様にバトンタッチをしたのです。生前退位という前例と共に。

 

平成の終わりは時代の終わりを意味するのでしょうか?

いいえ。

日本という国が次のステップに移行した証なのです。

 

・・・・僕はそう思っております。